出産体験記 その3

2009年6月19日(金)

朝早いうちから点滴開始。午前中の内診では指4本位子宮口は開いていると言われたけど、まだまだだなぁとの事。今日産めれば良いけど明日かなぁと言われる。がっかりしているとだんだん腹痛の種類が変わって来た。今までは生理痛の重い感じで痛いって感じだったのが今度はお尻の穴の方に痛みが移って来た。しかもその痛みと言うか押される感じが尋常じゃない力。赤ちゃんが押してるとは思えない位の、内側から大の大人が何人も一斉に私の肛門を押してる様なものすごい力。いても立ってもいられない位で地の底から湧き上がる様なものすごい力でうめき声がでる。横で母親がシーッ静かに外に聞こえるとか、自分は一人で産んだとかブチブチ言ってるのでむかついてうるさい!と怒鳴る。痛いのになんで外に聞こえるから静かにしなくちゃならないの?とマジで切れた。けどそれを言葉にして母に言える程余裕なくて心の中で怒ってるだけで、その時後から聞くと陣痛の合間に少しウトウトしていたようで、その時は白目を剥いていたらしい。自分では全く記憶無い。ずっと痛みに耐えてると思っていたけど少しは寝ていたようだ。
肛門の圧迫もかなりの物にだんだんなって来て、夫に指で押してもらっていたけど場所が違ったり弱すぎたりで切れまくって「そこじゃない!もっと強く!」と怒鳴りまくっていたら、助産婦さんがテニスボールを持って来てくれた。そんなこんなでテニスボールをかなりの勢いで押してもらったり、自分で上に座って肛門を押し付けたりしていたら7時頃助産婦さんが来て、一旦点滴今日も止めますとの事。神様〜もう無理、帝王切開で良いから出してくださいって言おうかと思っていたら、内診を念のためしますねと言われた。
半ば諦めていたその時、「あ!開いてる!全開です!産めますよ〜」と天からのお声が。その時の気持ちと言ったら!晴れ晴れして希望が湧いて来てラストスパート頑張るぞと力が漲って来た。その助産婦さんが天使に見えた。
今思うと子宮口が開いている時が一番辛かった。あのテニスボールとの格闘がお産の中で一番辛いパートだった。多分開く瞬間に地の底から湧き上がる様なものすごいパワーと痛みが体を駆け抜けて、息も出来ない感じだったのだと思う。いきみ逃しなんてその瞬間は出来なくて思いっきり力が入って、握っていた手が潰れそうに痛かったと母と夫に言われた。
恥骨の方に頭がまだあるので、お産の準備をする間もう少し後ろに頭が行くまで待って、ベッドにのってもらうと言われ、結局8時くらいにベッドにあがった。病院出産で一番怖かったのが分娩台にのって仰向けに産む事だったけど、この部屋のベッドは普通のベッドで、助産婦さんが最初はビーンクッションにもたれ掛かってしゃがんだ姿勢を取ってみてと言ってくれた。あ、分娩台じゃないと思った瞬間よし、頑張るぞとまた力が。でも相変わらず肛門は押され続け、ナースが押してくれていたけど(さすがプロで的確な場所を押してくれて楽だった)、準備で外に出た瞬間に痛みが襲って来た時は夫に押して欲しかったのに、え!?え!?とか言ってるうちにすごいのが来て、その時はマジ切れで、「早く押せって言ってるのになんで押さないの!助産婦さん呼んでよ、早く!」みたく半狂乱で叫んだのをはっきり覚えている。遅いよ!とかかなり怒鳴った。
戻って来て今度はその体勢があまり好きじゃないと察してくれたのか、横向きになりますか?と聞いてくれた。私も横の方がいきめそうな感じがしたので左下で横に寝て、足を助産婦さんの体に当てて思いっきり踏ん張っていいからと言われ、いきんだ。頭が見えてると言われて確か3回くらい連続でいきんだけど、陣痛の波が去って一旦休憩。その時助産婦さんに内側が自然に切れたし、赤ちゃんがお腹の中でうんちとおしっこをしているから早く出してあげた方が良いので会陰切開しますが良いですか?と言われ二つ返事ではいはいと言った。その次にも3回くらいいきんで、その次にもまた3回位いきんだ時に夫が「後2回位いきんだら出そう!」と叫んだので陣痛は去りつつあった物の自力でいきんだる!と思って思いっきり2回くらい全身の力を総動員して無理にいきんだ。その時夫が「ビデオ撮って欲しい?」とか間抜けな質問をして来たので、「うるさい!」と怒鳴りつけたら、その後ににょろんって感じで何か出て来て泣き声が聞こえた。後はもう良く何がなんだか分からないけど兎に角全身の力が抜けて終わった!解放!やった!という幸福感で一杯だった。産んだ直後に「女の子ですよ」と言われたのは覚えているけど、その時ははっきり言って嬉しいとか何もなくて後から「そう言えば女の子って言ってたな」位、終わった事への安堵感でいっぱいだった。
すぐに羊水を吸引して小児科のドクターにチェックをしてもらってからお母さんに渡しますと言われたけど、この作業はかなりスムーズで、産まれるって時に小児科のドクターもスタンバイしてたらしく、すぐに赤ちゃんをだっこする事が出来た。
その後はあまり覚えていないが結構な時間をかけて医者が研修医を指導しつつ、会陰の縫合をしていた。その前に胎盤を出す作業をしたのだが、出した瞬間「すごい!こんな立派な胎盤中々ないよ。普通の1・5倍はあるな。色も綺麗だし」と研修医に言ってるのを聞いた。やっぱり食べ物とか石けん生活が良かったのかしらとその時思った。後で助産婦さんにあれだけの胎盤だから赤ちゃんの心音も一度も下がらずに無事に産めたんですよと言われて、本当に健康生活してて良かったなと思った。
会陰切開の後を縫っている時に夫が見てたらしいが、テーラーの様に縫い方が綺麗だったと言っていた。研修医は最後の一針位しか縫ってないから大丈夫だよと言われたのでほっとした。そう言えばメインの医者は若くていかにも俺ってイケメンって感じの様子を漂わせている人だったけど、まぶしいライトに特大のダイヤのピアスがキラキラしているのが鮮明に記憶に残っている。こんな人が私の会陰を縫っている・・・と最初不安だったけど、腕は確かだったようで2週間経った今ほぼ痛みもなく、綺麗な縫い目なのか何も問題ないのでほっとしている。
全て終わった後出血が2倍位あったので点滴しますといわれ、点滴をしながら親子三人の時間を持たせてくれた。あの時の幸福感は忘れられない。全てが終わった安堵感と、こんなに小さい可愛らしい人間が自分達の所に来てくれたんだと言う思いで満ち足りた気持ちになった。お腹も激すきだったので、おにぎりとあんぱんがあったのでそれを一気に食べた。
驚いた事に赤ちゃんは私に似ていて、絶対夫似だと思っていたので嬉しい誤算だった。あれだけ苦労して自分に全然似てなかったらやだなとちょっと思っていたので。
夜中の2時頃にLDRを出て、個室が空いてたので入れてもらった。疲れが一気に襲って来て、ベッドに沈み込む様に寝た。夫は分娩終了後は泊まれない事になっているらしいので、2時過ぎに帰って行った。彼もものすごく疲れているだろうに、変にハイだったらしく、その後六本木に行って祝杯をあげたそうだ。
私もホルモンのバランスなのか、朝6時頃に目が覚めてその後は眠れなかった。でも眠くなくて変に興奮した感じだった。

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