川崎病になってしまった

久しぶりの投稿でこんな内容だが、下の子5歳・男がいきなり川崎病になって入院した。付き添い入院中、他の方のブログを読んで色々参考にさせて頂いたので、私も覚書として残しておこうと思う。

7/14(金) 今日は幼稚園最終日。ポットラックパーティーで、毎回食べきれないだろ?と言う位欲張ってあれもこれも取る息子が要らない、要らないと言って、ピカチュウの形の菓子パン一個だけ私が取ってあげたのを少しかじってお昼は終わりだった。おかしいな、と思ったけれど、友達と遊んでいたしまぁ良いかと思っていたら。

幼稚園が14時頃終わり、帰りに公園で少し遊ぼうと言って何人かで遊びだすと、パーティーで貰った風船を割り、大泣き。そのまま機嫌も悪いし暑いしで、ちょっとしたら帰った。帰りの車で泣きながら寝てしまう。うーん、体熱い?計ると37.6度。今日は疲れたのですき家でお持ち帰りした。普通盛りのそぼろ丼を完食したので、大したこっちゃないと思って寝る。でも今思ったらたまに震えていた。悪寒?

7/15(土) 朝5時位。体が熱いぞ。8℃台。20日からカナダ旅行だし、こりゃ早くなんとかしないとまずいと思って、そしてなんか普通の風邪と違う感じもして(熱でうなされてる感じ)、夫が仕事でいないのも不安になり、市内の救急に電話してみる。熱だけならとりあえず待って、かかりつけに行ってと言われたので、いつもの小児科へ。首が痛い(右の首リンパ腫れてる)し熱もあるので、血液検査するわよっと言われ、結果はCRPが8.7。白血球も2万越え。(20.7)CRPは3でも入院レベルよお母さん!と言う割りに、オゼックス(抗生剤)処方され、とりあえず飲んで様子見と言われる。今日から3連休だから、火曜日に又来いと言われ、アイスクリームを買って帰る。アイスに目がない息子なのに、ちょっと食べたら要らないと言ってこんこんと寝る。でも何十分かに一回はウーウーと言いながら起きる。ちょっと心配になってきた。いや、すごく心配だ。

7/16(日) 朝から9℃台。市内の救急へ。小児科医に昨日の血液検査の結果を見せると、いや、入院ですねと。すぐに紹介状をもらって直行。とりあえず診察と血液検査をすると、白血球22、(2万2千)、CRP23。熱は40℃。すぐに病室に上がって抗生剤の投与開始。右の首が寸胴になってる!すごい腫れてる!怖い。

7/17(月) ずっと40℃。首すごい事になってるしなんなんだろう。しかも土曜にアイスをちょっとぺろっとして以来何も飲んだり食べたりしてない。喉が痛くて飲み込めないらしい。唾飲めないからずっとティッシュにペッと出しては捨てる。解熱剤を入れても8℃台にしか下がらない。首が激痛らしく、横になれない。ベッドの頭を起こしてクッションやらなんやら使って寝るポジションを探す。ずっと震えて泣いている感じで可哀想。眠れない。 

7/18 (火) 相変わらず40℃。衰弱してる。原因まだ分からないと朝の時点では言われていたが、一度私がシャワーしに帰って戻ると、川崎病な気がすると言われる。この日は呪われていて、上の子が熱だして、シャワーしようかなと思った時に学校から電話。すぐに電車に飛び乗ってお迎え。夕方雷雨が去った後、自転車で病院に向かうと、また雷雨が戻って来てびしょぬれに。なんなの?!何の呪い?と本当に泣きたくなった。夜位には川崎病の症状のうち、①熱②首の腫れ③唇が真っ赤④発疹⑤手足のむくみ⑥舌が真っ赤でボツボツがそろったから、明日からガンマグロブリン投与が決まる。ジュースと水を少し飲むが、飲み込むたびに泣く。

7/19(水) 前の晩から明け方すごい下痢。水しか飲んでないし、抗生剤のせいらしく、ドロ便からジャバジャバの水便。ずっと下痢で眠れず。朝起きると言うか朝になると、水飲みたいと言って良く飲んだ。相変わらず痛そう。首が曲がらないのでストローで。舌の白苔がひどかったが、プップと唾を吐く度に白いのが出て来て、ベロから白い苔は段々取れて行った。イチゴ舌がすごい。
朝、MRIをすると言われる。首の腫れの原因を調べるため。5歳になったばかりなので、普通は睡眠薬投与しますがと技師さんに言われたが、主治医の先生がこの子なら出来ると何故か見込んでくれ、朝からMRIで起こる事を何度も説明する。私も説明した後、君なら出来る。怖くない、これをやればなんで苦しいのか分かるから頑張るんだと鼓舞する。すると、涙をためながらうなずき(首が痛いからちょっとだけ)戦いに挑む武士の様な凛々しい表情で、口を真一文字に結んで部屋に入って行った。一度も泣かず、一度もママ〜と言わず、一度も動かず綺麗な写真が撮れましたと言われる。私は外で泣く。あんなに小さい体で一生懸命頑張ってると思うと涙がこぼれた。
13:45〜ガンマグロブリン投与開始。15時頃からちょっと元気になって来たらしく、クレヨンしんちゃん見ると言う。その中で食べているラーメンを見て、食べたいと言い出した。お腹空いたらしい。そう言えば朝も近所のパン屋のソーセージパン食べたいとか言っていた。下痢してお腹空いたのかな?16:30、39.7。夕飯に病院食を出してもらうが食べず。

7/20(木) 熱が7℃台になる。発疹も薄くなって来た。お腹空いたらしく「お菓子食べたい」「ココア飲みたい」「ウインナーパン」と言って泣く。みそ汁の汁だけ朝飲ませたら、しみるらしく泣く。
午後1回目の投与終了。熱が8℃台から9℃に戻る。9.7℃まで行ってしまう。黒緑色の海苔の佃煮状の便。すごい沢山。熱や痛み、不快感で夜殆ど眠れず。震える声で「うーうー」とずっと言って泣き顔。30分位寝るとまた「うーうー」と言って起きる。

7/21(金) 発疹だけいい感じになる。熱と首の腫れはまだ全然治らない。私の膝に乗って寝たり、寄りかかったりして寝る。ずっと入院始まって以来、私じゃないと色々受け付けない。看護師さんが着替えさせようとしても、私を指差してやらせない。
少しでも何か食べて欲しいとヨーグルトを勧めるが嫌がるので、勿体ないから私が食べだした。すると「やっぱり欲しい」と言って半カップ食べた。良いなーと思わせた私の作戦がち?!
午後からまた2回目のガンマ投与開始。熱は9℃台。もしダメだったら転院かなと言われ動揺する。午後からポカリを飲ませてみてと言われたので飲ませる。

7/22(土) 昨夜も40℃。寝たり起きたりで眠れず。朝5時位に何となく寝た。途中泣いて起きそうになる度に、背中をさすって寝かしつける。私は気が張って眠れない。どうしても治したいと思って背中の副腎や足裏の副腎を押し続ける。朝7時頃、椅子に座りたいと言うので座らせ、肩と首まわりのリンパを流してやる。すんごいゴリゴリ。傷めたらいけないので、ゆっくりさする。そして足の付け根に水枕をつける。すると9時過ぎの検温37.7!私が一時帰宅してる間に2回目投与終了。するとまた8℃に上昇…。夜中には8.6℃になり、また苦しそうに「うーうー」がはじまり、また眠れない。私は必死で副腎を刺激。一晩中体をさする。

7/23(日) 朝7時の検温8℃。微妙…。唇はひび割れて不機嫌。が、朝8時の医師の様子見で首のリンパが多少ひいてる。そして37.9→37.8と朝9時位から下がり傾向。私のマッサージのおかげ?!朝食はヨーグルト完食。昼はちゃんとしたご飯食べなさいと厳しく言ってみたがヤダと泣いてそのまま寝てしまう。3時間位熟睡。すると36.8に!やったと思ったのもつかの間、16:00過ぎの検温で37.9なんなんだ…。
結局夜も7℃台。朝の4時は8.1℃。点滴にカリウムが追加され(少し不整脈が見られると言われた)もう早く治って欲しいから食べろ!と無理矢理食べさせようとするがダメ。少しずつ無表情だったのが笑ったりするようになった(声は出ない。表情でニコッとする程度)。発症以来、ずっと悲しそうな表情。怒るでもなく、叫ぶでもなく、注射もわーっと一回痛くて泣くけど、その後は涙をためてポロポロするだけで、動かず、腕を看護師さんに差し出す。もっと感情だして良いのよと言って泣く(私が)。看護師さんにもお医者さんにも良い子ねと言われるし、やりやすいって言われるけど、我慢してるんだろうなと思うと泣けちゃう。

7/24(月) やっぱり8℃台になったり7℃後半になったりウロウロ。朝主治医と小児科部長と話をする。とても丁寧に質問にこたえてくれたり、色々話してくれて安心した。今後の方針は9℃台になったら3回目のグロブリンを入れる、その際は違う会社の物にする。そしてダメならラミケードと言うリウマチの患者さんが使う免疫抑制剤。最終手段は血漿交換。免疫抑制剤は効いたとしても、今まで免疫が抑えていた他の病気がぶわーっと出てくる危険性もあると言われ、あぁこのまま治ってと祈る。
夜の7時半。まだ8.6℃。様子見。食事はすごくイヤイヤだけど1/4食べた。野菜が苦手な彼は半分以上が野菜のおかずという地獄の病院食に苦戦。が、潰して無理矢理食べさせる。
この日の夜、すごい汗を頭から体からどんどん出す。枕がびっしょりになる位。シーツも交換してもらう位の汗。2回着替えをした。一回目は夜の9時半。すると体温37.1!!そして2回目は2時半。37.0!!すごい!汗と共に解熱したらしい。

7/25(火) 朝6時過ぎ。37.4。また上がった。でも本人はスヤスヤ寝てて気持ち良さそう。昨日から嫌でも食事を食べさせたから体力ついたのかな?ツナサンド食べたい、桃食べたいと言っている。でも口はほぼきかない。笑顔はたまにするけど、声を出さない。桃食べたいとか言うときだけ、か細い声で「モモ…」見たいな感じ。

私はと言うと、体力無くしたら一大事なので、とにかく食べる。眠れないので食べる事で体力維持。1日おきに電動チャリで片道25分かけて帰り、お風呂にはいる。そして母に弁当を作ってもらって健康食を食べる様にした。そして退院したらやりたい事を友達とメールで夢想して気持ちをあげていた。

息子は不安からか私にしがみつく様になった。そしてちょっとどこかに行こうとすると「逃げないで!ここにいて!」と言ってベッドをぽんぽん叩いてここに寝ろと言う。昨日のエコーで、小児科部長がやっていたとき、観念したかの様な表情で微動だにせずやらせていたら、「5歳になったばかりでこれはすごいね。信じられない。おかげで正確にエコーが撮れるからありがたい」と言われた。元気な時は利かん坊だと思っていたけど、よく考えたら園でも先生に「悪い所を探そうとするけど見つからない」と言われる位いい子らしい。私といる時は甘えてるんだな、しつけ!なんて気負う必要ないんだな、と今回思った。
朝食をパン食にしてもらったらモリモリ食べた。この人はパンが好きなんだなやはり。すると元気がみるみる出て来て、生きる=食べるなんだ、と人体実験した気がした。点滴で命はつながるけど、食べないと活力でないんだ。今日も採血頑張った。泣かずに腕を差し出した。
上の子の小学校の先生から電話があったので、すぐ来るね!と言って食堂に行った。が、切れちゃったのですぐに戻ると、自分で靴を履いて、点滴のガラガラを手で押してまさにドアから出ようとしていた。泣きながら。ごめんね、ごめんね不安にさせて。
そう言えばこの所唾ペッとしなくなった。飲み込める様になったみたい。喉の腫れもなくなって来た。そしてお腹空いたとずっと言っている。じじばばがお見舞いに来て少し元気になっておしゃべりをする様になってきた。ipadでゲームしたいと初めて言って、腹這いでゲームをしたので、元通りになったっぽい。夜、またすごい汗。

7/26(水) 朝7.4。朝食後7.1、安定してきた。そして9時過ぎに指を見たら右手の親指が剝けた。もしかして治った?期待高まる。午後のエコーも問題無し。そしてやっと点滴が外れた。そしてぺらぺら話しだした。折り紙を沢山やった。19時検温37.2そして左手の人差し指、中指もずるっと剝けだした。あんまり剝けない人もいると言っていたけど、剝けてくれると治ったって目で分かりやすくて安心した。

7/27(木) 怪我の功名というか、入院してから夜おしっこで起きる様になった。なのでパンツで眠れる様に。今まで夜だけおむつにしてたんだけど、これでおさらば出来そうだ。昨夜はよく寝て起きなかった。朝、採血を私と一緒にベッドでやってくれる人もいれば、処置室に無理矢理連れて行く看護師もいて、この日は私とやりたいと言ってるのにダメって言って連行された。珍しく大泣き。ちゃんとやれるんだから良いじゃんとちょっとむっとする。ていうかダメならどうして部屋でやる日もあればやらない日もあるんだろうか?
やっとシャワーを浴びた。風呂好きなのですごく喜ぶ。垢がすごい!シャワーの後、ふやけたのか指の剝けが一段と進む。全部の指が剝けて来た。でも舌がまだ赤い。熱は7℃台。そして今日のCRPは4、白血球は1万。下がり傾向。

7/28(金) 朝7時、6.8度!舌の赤みもひいて来た。昨夜鼻血が止まらず。アスピリンのせいかな?寝ているとき垢をこすったせいか痒いと言い出し、保湿剤塗る。今日は私は一旦帰宅、娘とランチをした。娘は幼稚園ママ達のおかげで連日お泊まりや、遊びに連れてって貰って楽しくやっていたが、やっぱり寂しいみたいで、久しぶりに私と一緒に話して楽しくランチをした。早くもとに戻りたい。病院に帰ると、明日一時帰宅をオッケーされた。やった!月曜にまた戻って来て大丈夫なら退院の運びとなった。

7/29(土) 朝の検温36.6。こりゃもう治ったね。一時帰宅中の注意は外に遊びに行ったりしない。コンビニまで散歩がてら何かを買いに行く程度なら良し。熱が上がったらすぐに電話。1日3回検温。アスピリンは朝だけ飲む。とりあえずこれで治ったと思いたい。
家に帰ると久しぶりに姉と楽しそうに遊び、見ていて嬉しかった。私はと言うと疲れてちょっと昼寝。そして今夜はカレー食べたいと言うので今から買い物へ。疲れたけどとにかく治って良かった。

カナダ旅行からのイギリス里帰りが全てパーとなり、すごい額の損失をしたけど、川崎病にカナダに行ってから発症せずに良かったと良い方向に思う事にした。川崎病は日本では大体の治療法とか小児科医は知ってるし、症状みてそうかな?と思えるけど、海外では何??レベルらしい。

今回の主治医、そして小児科部長は川崎病の子を沢山見て来たらしく、慌てず騒がずそして3回目のグロブリンを入れる手前でゆっくり待ってくれた。心臓エコーも丁寧に毎日やってくれて、本当にラッキーだった。もしかしたらの説明で転院を言われた時に、ちょっと私もパニクって、友達の旦那さんが心臓の先生を転院と言われた病院でやってるので、聞いてもらった所、今掛かってる先生は川崎病に詳しいから安心して任せたら良いと言われて気持ちが落ち着いた。そして娘が寂しくない様にまわりのお友達の家族が沢山面倒を見てくれて、本当に今回の入院ではまわりの人達の力で私達は幸せに生きて行けるんだなと実感した。これから何かまわりであれば、積極的に手を差し伸べて皆と幸せに暮らして行きたいと強く思った。

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