娘の中学受験を終えて①

 やっと受験が終わった・・・。まだ第一希望の結果は出ていないけれど,あれこれ忘れない内に今の気持をまとめておこうと思う。

なんかもうずーっとずーっと受験の事を考えていた気がする。それだけ長い間受験の事考えていたのは何だろうと思い,気持ちを探ってみた。

多分これはとある県に引っ越した時に感じた気持ちが発端だと思った。

娘は生まれて10か月で区立の保育園に通いだした。最初の子供だし,ずっと一緒にいたのにいきなり娘と別れて過ごす事に不安と悲しみを感じて職場復帰した私。それでも保育園の先生方がとっても素晴らしい人たちで,私の不安も娘の不安も無くす様なアドバイスを下さり,実際に娘はだんだん慣れるにつれて,園がや先生が大好きになり,とても充実した最初の集団生活を送ることが出来た。

3歳9か月の3月に(6月で4歳になる),夫の転職で関東から遠く離れた北陸に転居。車が出来ない私,そして0歳の下の息子を連れての地方都市への引っ越しは地獄の様で(大げさ),本当につらい日々だった事に加え,歩いて行ける範囲の幼稚園が1つしかなく,とりあえずそこに入れるしかないので入れたものの,ものすごいカルチャーショックで日々沸々と不満が溜まって行った。

驚くほど男女の別を強調する先生(面談で指摘したらしてないと言うけれど,いや,してるからと言っても認めなかったり)で,その他にもえーーって感じの事ばかり。もう絶対ここに居たらうちの子供達はダメだと真剣に考えだして,夫に転職を1年でして貰って帰ってきた。

帰ってくる前から目をつけていた国際的な?(と言うか英語教育とか国際理解に力を入れている)幼稚園に無事編入。それからはもう毎日毎日楽しくて,安心して先生にお任せもでき,あぁやっぱり学校選びって本当に大事だ!と思った。

そこからは常に次の学校は何処にしたらいいのかを考え続けていた気がする。この子にあった学校は何処だろう?そればかり。

小学校もラッキーな事にこれだ!と言う所を見つけ,無事に入学できた。ここは別に英語教育には力を入れていないけれど,情操教育や先生と生徒の信頼関係に非常に力を入れてくれる学校で,娘も私も,そして最初は反対していた(英語やらないから)夫も,結局はみなハッピーになれた学校選びが出来た。

さぁじゃあ次は中学だ!と気合が入りすぎて,2年生位の時にイライラがすごくなり(思ったように娘が勉強をしないから)ブチ切れて,私はこのままじゃだめだと愕然とし,担任の先生に相談に行った。

先生には勉強のやり方とかやらせ方と言うか,そういうのを聞きに行ったのだけど,先生からは「お母さんが知りたいのは,勉強じゃなくて娘がこの先大丈夫かって事だと思う」と言われた。

いくら楽しい幼稚園時代でも,やはり肌の色についてのコメントは友達からあったり,小学校でもいじめられはしてないけれど,素朴な感じでなんで黒いの?とか言われたりはあった。だからお母さんは何とか私がこの子を守らねばって気持ちが張り詰めすぎて疲れてしまっているのではないの?と言われた。

余りに図星でその場で泣いた事を思い出して今も泣ける。それで先生から,娘は大丈夫。今は頼りなげに見えるけど,絶対にしっかりしたちゃんとした子に育つから安心して,余り思いつめないで,楽しく子育てして,5年生とかになったら,あぁあの頃は可愛かったなって思う時が来るからって。

そんなこんなでそうは言われても教育の事はずっと頭にあったけど,すこし距離を置いて考えられる様になった。そして娘も強くなり,それまでは私に言われっぱなしだったのにある日爆発して変わったのだった。

行かせたい学校は,願書に小学校時代何したのかを書く欄があり,何もないといかん!と焦りピティナのステップを無理に申し込んでやらせようとした。そうしたら,人前に出るのが大嫌いなのに無理にやらされて切れたのか,出番直前に無理!と大泣きして結局出ないで帰った。

家で私が烈火のごとく怒り,あれこれ言ったら「私の人生だからやりたくない事はやらない」位言った気がする。そして受験勉強も(その時4年)私はやりたくない。でも英語はやらないとどこにも行けないなら頑張ってやる。と宣言をしたので,4年の春の時点で普通の受験はしないと決定,英語1本入試に変えた。(この日

英語1本と言うと簡単そうに聞こえるけれど,その時点では英検も持っていないし,パパと英語で話してはいても語彙は貧弱だし,間違えも多いし,もっと言えば書いたりした事が無いので(アルファベットを幼稚園でちょろっと書いたくらい),英語が出来るって言っても出来てないのが正直なところだった。

で,4年の1月に初めて英検を受けた。3級。流石にこれ位はカンで埋められて高得点で一発合格ではあったが,2級は一度落ちた。2回目で合格。(確か1次は受かったのだけど,CBTだったのでスピーキングで小さい声で話したから拾われなかったのか?スピーキングが足りなかった。スピーキングは得意なはずなのに)

で,準1級も結構勉強して2回目で合格。6年の8月。どうしても準1級を取りたかったと言うよりは,行きたい学校の副校長と面談した際に,ここの試験を受ける子達の英語力は?と聞いたら準1級程度と言われたので,娘の力がそこまで行ってるかどうか知りたくて受け続けた。

しかしその後,安心したのか夫も娘もエンジンが掛からず。やきもきした物の,第2希望の学校も見つかり,そこでも良いか見たいな気持ちになったので,私もまぁもう良いか位思っていたら,12月位から(おそ)夫にエンジンかかり,結局1月からすごく本格的に沢山エッセイを書く練習を始めた。直前すぎ。

特に1月の最終週,コロナが怖いから休みたいと本人が言ったので,まぁそうだなと思って休ませたその1週間。毎日3本くらいエッセイを書いていて,すごく頑張ってはいた。これで落ちたら仕方ないって思ったので,まぁまだ結果は出ていないけれど,だめでも良くやったとほめてあげたい。

続く。



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