結論に達した。私の母と私の今まで。

 あのモヤモヤの気持を吐き出した後につくづく考えてみたところ,母の可哀想と言えば可哀想な部分に思いを馳せる事が出来たので,気持ちが落ち着いて今後の付き合い方も考える事が出来た。

まず,やはり女性の生き方が今とは違う時代だったんだろうなと思う。そこは可哀想。母は大学を卒業し名の知れた企業に就職した。OL時代がめちゃ楽しかった様で,何回も同じ話を聞かされた。お昼休みは銀座のどこどこで何を買ってとか,そんな話(仕事の話じゃないんか!って内容だけど)でもきっと彼女にとってあの頃が一番充実した時代だったんだろうと思う。

その後大学の友達だった父と結婚して退職。それからきっと抑圧生活が始まったんだろうと思う。今だったらパートに出るとか色々チョイスもあるのかも知れないが,母が外に出る事を嫌い,出かける時も必ず食事の支度はどうした?とか言う様な束縛夫だったから,仕方なく?自宅で子供に英語を教えたり,英語のサークルに入ったりしていたけれど,そういう活動も辞めさせる様な夫だったので(子供心に変なのと思っていた),相当なイライラが募っていたと思う。

でも経済力がないし,子供は2人いるしで諦めてきた人生。じゃ子供に人生を賭けるぜ!とばかりに兄には期待をかけたらしく,小学校受験とかしていた。私の教育はスルーだったけど,結局結婚するなら必要ないとか思ったのかな?よく勉強しろしろ兄には言っていたのを覚えているけれど,私には一切言わなかった。だからなのか?私の方が兄よりも数段良い大学に受かったのは運命のいたずら。

しかしながら,私のせいでもあるけれど結局そういう価値観が私にも若い時はあって,大学出たらすぐ結婚して専業主婦になるみたいに思っていた。←じゃ大学行くなよって気もするが!

良く大学の友達に,「23歳とかで結婚して3LDK以上の家またはマンションに住むとかありえないでしょ?無理だから」と言われていたけれど,え?無理なの?と本気で思っていた。

結局そんな様には人生はうまい事いかず,紆余曲折あって今があるけれど紆余曲折あったおかげで夫に出会えたし,NZに一年行った事が日本の価値観がおかしいぞ?と思えたキッカケだったので,海外に出て本当に良かったと思う。

NZはその頃はまだまだ田舎で,今は知らないけれど大都市のオークランドですら裸足で歩く人が結構いてびっくりしたのを覚えている。え?!と驚いていたら,ホストマザーに裸足は気持ちが良いからね,と言われてそういう感じなん?と思った。自分が良いと思えば良い,そういう感じが日本には無いな~と痛烈に感じた。

帰って来てからは海外に関係のある会社で働いたので,日本にいても感覚が普通の日本ぽく無い人ばかりで心地よかった。夫がイギリス人なのもきっと母の人生への反発なのかな?ああはなりたくないっていう感覚。

結果本当に結婚してよかったと思うし,私の家庭は自分が育った家庭と違って子供達はお父さん大大大好きで信頼尊敬していて,中2小5の二人は未だにパパの膝に座って抱きついて,今日あった事やら勉強について色々話をしている。そういうの見るだけで本当に良かったと思う。夫はいつも私にも献身的で,いやな事があれば励ましてくれたり,私にはこんな事出来ないよと愚痴れば君ならできる!君ほど出来る人はいないみたいな嘘かも知れないけれど励ましてくれるので,少し自信がついたりね。でも育った家ではあんまりそういう事は言われなかったから,心のどこかで自信が無いのだけど。

母は私が娘だから共感してくれると期待して言ったのだろうけれど,父の文句をしょっちゅう私に言っていた。だんだん大きくなるにつれ私も「そんな事言ったって結婚相手に選んで今も一緒にいるのは自分の選択じゃん」と反撃する様になると「やっぱり○○の血(父方)だね」とか「お父さんにそっくり」と言われた。その度にイラついていたけれど,私は全然へこたれない性格だったので「だから?自分の人生がそうだからって不満言うの止めてくれる?」と反撃していた。今思えば可哀想な鋭い言葉だけど,こっちもそんな事言われてもね,って感じだし。頼んでねーし,父と結婚して欲しいとか。

信田さよ子の「重すぎる母無関心な父」と言う本を読んだら,あーそうそうこれだって思った。その中で「自分の選択で結婚した夫の愚痴を子どもに言うなーこれは母親の原則です。」自分でこの言葉を母に言えていた若かりし私,素晴らしい。

私が大学生の時,母が着物にはまり着付け教室の先生に取りつかれ,着きれないほどの着物を買ったり,良いカモだと思われたのか宝石とかも買わされていた時があった。父が文句を言う事に反論していたが,流石に私も騙されてるんじゃ?と思って止めなよと進言すると,人を疑ってばかりと怒っていた。でもどう考えてもこの先生の人相から話し方から信用ならんって私はニオイがしたので,止めなと言ってる内に何故か知らないけれど縁が切れた。その後もすぐに人を信じたい人だから,しょっちゅう飛び込みで売りに来るめちゃ高い掃除機とか買ったり,アルカリイオン水がどうのの機械かったり(毎回何十万も吹っ掛けられ信用しちゃう),不要な服を世界で困っている子供達に送りますとか言う怪しい業者に不用品を渡した後,もし貴金属もあれば買い取りますと言われ,安い値段で金を売ったり…私からしたらアホか?!と思うけれど,こういう出来事,枚挙にいとまがない。

それから変にスピリチュアルにはまって怪しい色水のオーラソーマにはまって,やっぱりその先生からオーラソーマ以外の変なモン買わされたり。その先生が主催する清里での何とかセミナーに行こうと言われ,娘が2歳位の時に3人で行った。行きたくないけどその日と次の日に温泉旅館泊まろうと巧みに持ち掛けられたので(笑)もうその先生の顔,雰囲気を見ただけで,ダメでしょ?と私は分かったけど母からしたら人を疑いすぎになってしまう。

何でこうなんだろう?と分からなかったけれど,全ては結婚生活のはけ口だったんだろうなと今分かった。ワインにはまっていた時も,ワインワイン言ってワイン会に参加したり,フランスまでシャトーを見に行くと言って行っちゃったり,良いんだけどじゃ極めたか?と言うとそういう訳でもなく(別に極める必要もないんだけど)スッとブームが終わる。これも家にいたくなかったからなのかな?と思った。

信田さよ子の本の中で,まやかしの家族とあったが,それだな,と思った。しかし本の最後で家族を維持するには演技が必要ともあって,それぞれが自分のロールを演じる事で家族はうまく行くみたいな事もあった。素,生身の自分を見せてはいけないみたいな話。確かにそうなのかも知れない。家族だからってあけすけに自分を見せる事が自然と言う訳では無いのかも知れない,親対子供の場合。夫婦は違うかもしれないけれど。いや,夫婦もそうなのかな。

結局人間は一人なんだなともどこかで思っていて,私が思う事全て相手に通じる訳でもない。夫は好きだけれど夫も夫で違う人間だと感じる部分多々あるし,全て分かりあえるなんて無いんだろうなと思う。でも母は未だに自分の思いを分かってくれる人,通じる人と一緒になって,自分が思い描く素敵な庭がある桃源郷に住みたいと思っているようだ。掃除をしていたらそんな事が書いてあるノートを見つけた。可哀想にと思うけれど,結局は行動力も無いし,反撃するでもなく(多少の言い返しはしているけれど,反対されても無視して自分のやりたい事を貫くとかは出来なかった)今まで来てしまったのだから,無理なのはまわりのせいじゃなくて自分のせいだとそろそろ自覚する必要もあるのかなと思う。でももうどっちにしろ難しいけれど。

父も母から文句を聞いていた時は本当にダメな父だと思っていたけれど,今思い返せば一生懸命働いて,酒もたばこもやらず,浮気もせず,暴力も振るわず,家族の為にお金を沢山持ってきてくれて贅沢もさせてくれ,父は父なりに頑張ってはいた。けれど母の望む様な精神的なつながりは無く,確かに束縛夫で息苦しかったと思う。でも悪い人かと言われたらそういう訳でもなく,単に子供っぽいと言うか,わがままな大人子どもなんだろうなと思う。今でも孫の為になんか買ってくれたりしてるしね。それが愛情表現なのかなと思う。自分の為にはあんまりお金使わない人なので。そういう事を客観的に見られる様になった理由は,一時期家族から抜けて海外に行った事,外国人の夫と結婚して価値観が1つでは無いと気が付いた事,年をとった事なのかな。そうやって自分の来し方を見つめなおす事で,今の自分がこれからどうやって生きて行ったらいいかも考えられたので,有益な経験だったと思う。

私も色々影響を受けてすぐに怒ったり,子供達が自分の意に沿わないと怒ったりしていた。それがどんなに幼稚な事か恥ずかしくなったし,今回息子が自分で塾を辞めたいと言った時も辞めちゃって大丈夫?と信用していなかったけれど,息子を信じてみようと心から思えたのもこの経験があったればこそかなと思った。

そして娘には羽ばたいて欲しいし,自分が納得する人生を送って欲しいので,出来る限り陰から支えたいと思った。しっかりしているし大丈夫と思うけれど,助けが欲しいと言って来たら支える位の気持でいようと思った。あれこれうるさく言わず。

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